最近、人生について考えることが増えました。
いや、正確には昔から考えていたのかもしれません。
人間とは何か。
何故生きるのか。
何故苦しむのか。
答えの出ない問いばかりです。
考えれば考えるほど分からなくなる。
それでも私は、気付くとそんなことばかり考えています。
昔の私は、どこかに答えがあると思っていました。
人生の意味。
幸せの正体。
自由とは何か。
いつか答えに辿り着けると思っていたのです。
ですが最近になって、少しだけ違う気がしています。
振り返ってみると、私の人生は遠回りの連続でした。
失敗もありました。
後悔もありました。
思い出したくない出来事もあります。
もし人生を効率だけで考えるなら、もっと上手く生きられたのかもしれません。
ですが、その遠回りがあったからこそ見えた景色もありました。
当時は理解できなかったことが、今になって少しだけ分かるようになったこともあります。
人生とは不思議なものです。

最近、ふと思いました。
人生は苦しいことの方が多いのではないかと。
思い通りにならないこと。
失敗すること。
傷つくこと。
不安になること。
別れや後悔。
生きているだけで、人は様々な苦しみに出会います。
正直に言えば、楽しいことより苦しいことの方が多いと感じる時もあります。
だからこそ、
「人は何故生きるのだろう」
という問いが頭から離れませんでした。
そんなことを考えているうちに、一つの言葉が浮かびました。
苦しみとは、生きるための通行料みたいなものではないか。
もちろん払いたくはありません。
できることなら避けたいです。
ですが、人生という道を歩く以上、避けて通れないものもあります。
失敗も。
後悔も。
不安も。
苦しみも。
それらを完全に避けることはできません。
だから最近は、人生を歩くために必要な通行料なのだと思うようになりました。

私は答えが欲しかったわけではない
では、何のためにその通行料を払うのか。
私は長い間、その答えを探していました。
人生の意味。
幸せの正体。
自由とは何か。
人間とは何か。
答えがあると思っていました。
ですが、ここまで考えてきて一つ気付いたことがあります。
私は答えが欲しかったわけではないのかもしれません。
気になるから。
面白そうだから。
自分の目で見たいから。
自分の手で触れたいから。
自分で確かめたいから。
振り返ってみると、私はずっとそうやって生きてきました。
私は昔から、人から聞いた話をそのまま信じることが苦手でした。
本に書いてあった。
テレビで言っていた。
誰かがそう話していた。
もちろん参考にはします。
ですが、それだけでは自分の中に残りません。
自分で体験して初めて分かることがあるからです。
だから私は遠回りをします。
自分で見て。
自分で考えて。
自分で確かめる。
効率は悪いかもしれません。
ですが、それが私の生き方なのだと思います。
空虚になりたくない
そしてもう一つ気付いたことがあります。
私が本当に恐れていたのは、苦しみではありませんでした。
空虚さです。
何も感じないこと。
何も気にならないこと。
何も考えなくなること。
ただ毎日が過ぎていくだけの状態。
私にとってそれは、生きることを諦めるのと変わりません。
だから私は好奇心を失いたくないのです。
人生の意味は、まだ分かりません。
人間とは何かも分かりません。
これから先も答えは見つからないかもしれません。
でも、それでいいんだと思います。
私は答えを探していたのではなく、気になることを追いかけていただけなのかもしれません。
自分の目で見て。
自分の手で触れて。
自分で確かめる。
そうやって生きていきたい。

それでも歩いていく
その先に何があるのかは分かりません。
どんな景色が待っているのかも分かりません。
それでも私は歩いていこうと思います。
気になることを追いかけながら。
自分の目で見て。
自分の手で触れて。
自分で確かめながら。
いつか人生を振り返った時、
「悪くない人生だったな」
そう思えたら十分です。
だから私は今日も歩いていきます。


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