最近、ある作品を見て考え込んでしまいました。
見終わった後も、しばらく頭の中が整理できませんでした。
悲しい。
虚しい。
切ない。
そして、どこか煮え切らない。
そんな感情がずっと残っていたのです。
私はその作品を見ながら考えていました。
誰が正しかったのだろう。
誰が悪かったのだろう。
人とは何なのだろう。
善悪とは何なのだろう。
考えれば考えるほど分からなくなりました。
ネットで感想を読んでも、誰かの考察を見ても、どうもしっくりきません。
そして最後にたどり着いた答えは、とても曖昧なものでした。
もしかしたら、みんな正しかったのかもしれない。
みんな正しかった
立場が違う。
環境が違う。
見えている景色が違う。
だから正義も違う。
それぞれが大切なものを守ろうとしていただけなのかもしれません。
そう考えた時、不思議と安心することはできませんでした。
むしろ苦しくなりました。
もしみんな正しかったのなら、誰も責められないからです。
誰か一人が悪かったわけではない。
誰か一人を倒せば終わる話でもない。
そんな現実に、どこか絶望に近い感情を覚えました。
そして気付けば、私はずっと同じ問いを考えていました。
「正解とは何だろう」
と。

正解を探していた
思い返してみると、私は昔から正解を探していました。
人生を良くする方法。
お金のこと。
人間関係のこと。
生き方のこと。
たくさんの本を読み、たくさんの人の体験談を調べてきました。
なぜそんなに正解を探していたのだろう。
そう考えた時、一つの答えが浮かびました。
私は、生きやすくなるための答えを探していたのだと思います。
苦しまないために。
失敗しないために。
人生をうまく進めるために。
だから今回も、誰が正しいのかを知りたかった。
ですが考えれば考えるほど答えは見つかりませんでした。
そして気付いたのです。
私が探していたのは、正解ではなかったのかもしれないと。

人生を取り戻そうと思った日
借金返済が終わる頃。
私はそれまでの人生を振り返ることがありました。
どこか投げやりだった人生。
流されるまま生きていた日々。
自分で選んでいるつもりで、実は何も考えていなかった時間。
思い返すと、私は自分の人生の傍観者だったのかもしれません。
そんなことを考えるようになりました。
そしてある日、ふと思ったのです。
「これからは自分の人生を生きよう」
と。
怒りではありませんでした。
恨みでもありませんでした。
むしろワクワクしていました。
ようやく人生が始まる。
そんな感覚だったのです。
好きなことをしてもいい。
挑戦してもいい。
失敗してもいい。
自分で選んでもいい。
そう思えた時、少しだけ肩の力が抜けた気がしました。
人生の当事者でありたい
今でも正直、答えの出ない問いはたくさんあります。
善悪とは何か。
正義とは何か。
人とは何か。
私には分かりません。
これから先も分からないままかもしれません。
ですが、一つだけあります。
私は人生の傍観者にはなりたくありません。
誰かの答えを待つのではなく。
誰かのせいにするのでもなく。
自分で考え、
自分で選び、
現実を受け入れながら生きていきたい。
正しい人生を歩みたいわけではありません。
幸せな人生を歩みたいわけでもありません。
ただ、自分で選んだ人生を歩きたいのです。
そして10年後の自分にも、一つだけ願うことがあります。
何をしているのか。
どこで暮らしているのか。
それは分かりません。
ですが、自分との約束を守れる人でいてほしい。
人生の当事者として、自分で考え、自分で選び、その結果を受け入れながら生きていてほしい。
今はそう思っています。


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