私は、物を減らしたかったわけじゃありません

借金を返していた頃、私はお金や生き方について考えるために、本を読むようになりました。

その中で、強く残った言葉があります。

「本当に必要な物は少ない」

最初は、そんなものかなと思いました。

でも、実際に自分の暮らしを見回してみると、少しずつ見え方が変わっていきました。

生きていくために、本当に必要な物は思っていたよりずっと少ない。

そこで初めて、

「これ、何のために持ってるんだ?」

と思うようになりました。

それまでの私は、物を持つほど幸せになれると思っていたのかもしれません。

もっとお金があれば。

もっと良い物を持てば。

もっと大きな物を持てば。

自分も少し大きくなれるような気がしていました。

でも、振り返ってみると、それらの多くは生きていくために必要だったわけではありません。

自分を大きく見せるために、追いかけていたものだったのだと思います。

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「いい車に乗っている自分」が欲しかった

それが一番分かりやすく表れていたのが、高級車でした。

高級車そのものが悪いとは思っていません。

今でも、格好いい車を見ると欲しくなることがあります。

性能も高いし、所有することに魅力を感じる気持ちも分かります。

ただ、当時の私の暮らしを客観的に考えると、その車は明らかに持て余していました。

日常の使い方を考えても、そこまで大きな車も、大きな排気量も必要ありません。

それでも私は、その車にお金を使っていました。

なぜだったのか。

今なら分かります。

私は、

「いい車に乗っている。」

ということや、

「大きな排気量で、大きな車体を運転しているのは凄いことだ。」

ということを思いたかったのです。

車が欲しかったというより、

大きな車を運転している自分が、少し大きな人間に見えるような気がしていた。

そんな感覚でした。

今思えば、その車にかかるお金は何とも思わなかったのに、数千円の物を買う時には、なぜかものすごく出し惜しみしていました。

しかも、それは本当に欲しい物だけではありません。

生活に必要な物ほど、

「まだ使えるから。」

「今じゃなくてもいい。」

と買わずに済ませようとしていました。

今振り返ると、少し不思議です。

高級車には何の迷いもなくお金を払っていたのに、日常で使う数千円の物には、ずっとお金を惜しんでいたのです。

手放しても、何も変わらなかった

そんな高級車を手放しました。

そして、あることに気付きました。

車を手放しても、

自分の価値は何も変わりませんでした。

見える景色も変わりません。

周りの人の反応も、思っていたほど変わりません。

昨日まで乗っていた車がなくなっただけで、それ以外は何も失っていませんでした。

それどころか、毎月かかっていた大きな維持費がなくなりました。

「なんで今まで、こんなにお金を払っていたんだろう。」

そう考えると、

「今まで自分は何を証明しようとしていたんだろう。」

と、少し可笑しくなりました。

手放したことで得たお金は、まず借金の返済に充てました。

そして、それだけでは終わりませんでした。

車を持ち続けていたら、これからも出ていったはずのお金が、毎月残るようになったのです。

一度だけ手に入るお金ではなく、

これからも使い道を自分で選べるお金が残りました。

初めて迷わず買ったのは、眼鏡でした

借金を完済して、最初に迷わずお金を使った物があります。

眼鏡です。

私は少し目が悪く、普段から眼鏡をかけています。

その頃使っていたのは、十年近く前に買ったフレームでした。

フレームは曲がり、レンズには傷がたくさん入っていました。

「そろそろ買い替えないと。」

そう思いながら、長い間そのまま使っていました。

別に、その眼鏡に特別な愛着があったわけではありません。

ただ、

眼鏡にお金を使いたくなかった。

それだけでした。

借金を返し終えた私は、

「日常的に使うものだからこそ、まずは身だしなみから整えよう。」

と思い、眼鏡を買い替えました。

新しい眼鏡をかけて鏡を見た時、

なんとも言えない感覚がありました。

たかが眼鏡です。

でも、どこか背筋がビシッと伸びる。

「やっと、まともな人間の仲間入りができたのかな?」

そんなことまで思いました。

今思えば、あれは単純に新しい眼鏡が嬉しかっただけではなかったのだと思います。

自分を後回しにしていた生活から、

少しだけ自分をちゃんと扱う生活へ変わった。

その感覚だったのかもしれません。

最初に手放したのは、物ではありませんでした

そこから、持ち物についても考えるようになりました。

でも、最初に捨てたのは物ではありません。

ECサイトに登録していた、

「欲しいものリスト」

を全部消しました。

見返してみると、

「なんとなく欲しい。」

「ちょっと気になる。」

「いつか買うかもしれない。」

そんな理由で登録したものが、思っていた以上にたくさんありました。

その瞬間、

「本当に欲しいものがこんなにあるんじゃなくて、欲しいと思った瞬間を保存していただけだったのかもしれない。」

と思いました。

そして、リストを消したことで、思いがけない変化もありました。

ECサイトから届いていたメールや通知が減ったのです。

欲しいものを探す時間も。

買うかどうか迷う時間も。

「これも欲しいかもしれない」と考えるきっかけも。

少しずつ減っていきました。

物を減らしたつもりが、

頭の中に入ってくるノイズまで減っていった。

これは、思ってもいなかった変化でした。

「欲しいなら、買えばいい」

だからといって、物を買わなくなったわけではありません。

むしろ、本当に欲しいものが出てきた時は、以前より迷わなくなりました。

なぜ欲しいのか分かっている。

それが自分の暮らしに必要なのかも分かっている。

そう思えるなら、

もう買い時です。

わざわざ我慢する必要はありません。

昔は、高級車には何とも思わずお金を使っていたのに、数千円の必要な物には出し惜しみしていました。

今は逆です。

必要な物なら、必要だから買う。

本当に欲しい物なら、欲しいから買う。

そのためにお金を使うことを、必要以上に恐れなくなりました。

一つだけ、ルールを決めました

そんな経験を重ねる中で、私は自分の中に一つのルールを作りました。

「なぜ所有しているのか、なぜこれを選んだのかを説明できないものは持たない。」

考えてみれば、とても当たり前のことです。

自分が好きでお金を払って買うものなのに、

「なんで持ってるんだろう?」

と自分でも分からない。

それって、よく考えたら不思議な話です。

だから、物を買う時も、残す時も、

「これは何のために持っているんだろう。」

と考えるようになりました。

すると、不思議なことが起きました。

「物を減らそう」と頑張っているわけではないのに、

自然と持ち物が洗練されていったのです。

必要な物。

好きな物。

自分が選んだ理由を説明できる物。

そういう物が少しずつ残っていきました。

物を買うことが悪いわけではない

以前の私は、

「物をたくさん持っているほど豊かだ。」

と思っていました。

でも、今は少し違います。

物を買うことが悪いわけではない。

高級車に乗ることが悪いわけでもない。

趣味に大きなお金を使うことだって、悪いことではありません。

それが、その人にとって本当に大切なもので、

「なぜこれを選ぶのか。」

を自分で分かっているなら、

それは立派な選択だと思います。

私自身、高級車が嫌いになったわけではありません。

必要だと思えば、また乗りたいと思うこともあります。

ただ、今の私の暮らしや価値観には必要ない。

だから、今は選ばない。

それだけです。

物を減らしたことで、節約できた。

それも確かです。

でも、本当に大きかったのは、

何にお金を使うのかを、自分で選べるようになったことでした。

誰かに凄いと思われるためではなく。

自分を大きく見せるためでもなく。

ただ、自分の暮らしに必要だから。

自分が本当に好きだから。

そんな理由で物を選ぶ。

その積み重ねが、今の私の持ち物になっています。

そして、たぶんこれからも、

物を増やすか減らすかではなく、

「これは、自分で選んだものなのか?」

を大切にしていくのだと思います。

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