正解を探すのをやめたら、自分らしい選び方が見えてきました

これまで私は、「自分で選ぶ暮らし」について、さまざまな出来事を書いてきました。

見栄で物を選んでしまったこと。

人と比べて苦しくなったこと。

借金返済に追われた一年。

朝の峠道をバイクで走る時間。

一つひとつは別々の出来事のように見えます。

でも振り返ると、それらはすべて一本の線でつながっていました。

今回の記事では、その線の正体を書いてみようと思います。

私が何を基準に選び、なぜその選び方を大切にしているのか。

そして、どうして今の「自分で選ぶ暮らし」にたどり着いたのか。

これは、私の考え方を伝える記事ではありません。

私が、自分の人生の選び方に気付いていくまでの物語です。

目次

忘れられなかったのは、選ばなかった一足でした

ある日、一足のスニーカーに心を奪われました。

何気なくネットを眺めていた時です。

スクロールしていた指が、不意に止まりました。

画面に映っていたのは、アシックスの復刻版「ポイントゲッター」。

それまで特別アシックスが好きだったわけではありません。

それなのに、その一足から目が離せませんでした。

どこか昭和から平成初期を思わせる、懐かしい雰囲気。

子どもの頃に見ていた景色や空気が、そのスニーカーには残っているような気がしたのです。

「これを履いたら、あの頃の感覚に戻れるかもしれない。」

そんなことまで考えていました。

さらに調べていると、このモデルが『SLAM DUNK』で三井寿が履いていたバスケットシューズの復刻版だと知りました。

実は、私はずっと前からこのスニーカーと出会っていたのです。

でも、その頃は何も感じませんでした。

それなのに、あの日だけは違いました。

偶然だったのか。

それとも、その時の自分だから惹かれたのか。

理由は今でも分かりません。

ただ、一つだけ確かなことがあります。

私が惹かれたのは、デザインだけではありませんでした。

日本を代表する企業として、多くの人の足元を支え続けてきた歴史。

長い時間をかけて受け継がれてきた物語。

そういうものに、私は昔から弱いのかもしれません。

そこで奥さんに聞いてみました。

「このスニーカー、どう思う?」

返ってきたのは、

「学生が履く靴みたい。」

「スポーツシューズっぽいね。」

という何気ない感想でした。

その瞬間、心が少し揺れました。

「確かにそう見えるのかもしれない。」

「でも、好きなんだよな。」

「……。」

「ナイキなら間違いないか。」

気付けば私は、ナイキのスニーカーをレジへ持って行っていました。

もちろん、誰かに決められたわけではありません。

最後に選んだのは、私自身です。

それなのに。

家に帰ってからも。

仕事の休憩中も。

気付けば何度も、アシックスの写真を開いていました。

履いているのはナイキなのに。

頭に浮かぶのは、選ばなかったアシックスばかりでした。

あれから何年も経ちました。

たくさんの靴を履いてきました。

それでも、不思議なくらい今でも思い出すのは、買ったナイキではありません。

あの日、選ばなかったアシックスです。

どうして、あの一足だけは忘れられなかったのか。

当時の私は、まだその理由を知りませんでした。

あの頃の私は、まだ理由を知りませんでした

どうして、あのアシックスだけが忘れられなかったのか。

当時の私は、その理由が分かりませんでした。

たかが一足のスニーカーです。

履ければ困ることなんてありません。

それなのに、何年経っても思い出すのは、買ったナイキではなく、選ばなかったアシックスでした。

「なんでなんだろう。」

その一言だけが、ずっと頭の片隅に残っていました。

最初は、スニーカーだけの話だと思っていました。

でも、少しずつ気付き始めます。

同じような感覚は、他にも何度もあったことに。

仕事でも。

お金でも。

人間関係でも。

何かを選んだあと、

理由は説明できないのに、心だけが少し置いていかれたような感覚。

「これでよかったはずなのに。」

そんな言葉にならない引っ掛かりが、いつも残っていました。

私は昔から、不思議で仕方がないことがありました。

どうして、出来る人と出来ない人がいるんだろう。

どうして、同じようにやっているように見えるのに、結果が変わるんだろう。

才能なのか。

運なのか。

本当に、それだけなんだろうか。

その答えが知りたくて、私は物事の仕組みを考えるようになりました。

理屈が分かれば、再現できる。

理屈が分からないから、出来ない。

そんなふうに考えるようになってから、多くのことに納得できるようになりました。

でも、一つだけ。

どうしても理屈だけでは説明できないことがありました。

ナイキを選んだ理由は説明できます。

無難だから。

人からどう見られるかを考えたから。

でも、

家に帰ると、私はまたアシックスの写真を開いていました。

仕事の休憩中も。

休日も。

気付けば、あの一足を見ていました。

理屈では納得しているのに、

心は納得していませんでした。

その頃の私は、まだ答えを持っていませんでした。

ただ一つ分かっていたことがあります。

心だけで選んでも、何かが足りない。

理屈だけで選んでも、何かが足りない。

その感覚だけは、ずっと残っていました。

だから私は、

「どうすれば正解なのか。」

ではなく、

「どうすれば自分が納得できるのか。」

その問いを、少しずつ持つようになりました。

でも、その答えはまだ見つかりません。

私がその答えを知るのは、

人生で一番苦しかった一年を過ごした後のことです。

給料日が、楽しみではなくなった一年。

私の選び方は、その一年で大きく変わることになります。

給料日が、楽しみではなくなった一年

借金を抱えてから、給料日の意味が変わりました。

昔の私は、給料日が好きでした。

一か月頑張った証が口座に振り込まれる日。

少しだけ欲しかったものを買って、また来月も頑張ろうと思える日。

でも、その頃の私は違いました。

朝、銀行アプリを開きます。

給料が振り込まれていることを確認する。

嬉しいと思う間もなく、そのまま返済の手続きを始める。

振り込みが終わると、もう一度口座の残高を見る。

「この金額で、また一か月か。」

そう考えるところから、その月が始まりました。

給料日は、嬉しい日ではありませんでした。

「入る。」

「返す。」

「残ったお金で一か月暮らす。」

毎月、その繰り返しです。

気付けば、給料日から次の給料日まで、頭の中はずっとお金のことでいっぱいでした。

どうすれば少しでも残せるだろう。

何を削ればいいだろう。

次の返済日まで、どうやって乗り切ろう。

一か月頑張って手にした給料なのに、その数字を見ても笑えない自分がいました。

もちろん、投げ出したくなる日もありました。

「もういいかな。」

そう思った日も、一度や二度ではありません。

でも、そのたびに頭に浮かぶことがありました。

もし今日ここで諦めたら。

来月も。

その次の月も。

また同じ給料日がやってくる。

目先だけを見れば、返済は面白くありません。

欲しいものも買えない。

遊びにも行けない。

我慢ばかりです。

でも私は、過去に一度だけ、目先の楽しさを選び続けたことがあります。

その結果が、この一年でした。

だから今度は、逆を選ぼうと思いました。

今が面白くなくてもいい。

最後に笑えればいい。

その考えだけが、私を前へ進ませてくれました。

それから一年。

最後の返済の日がやってきました。

銀行アプリを開き、最後の振り込みを終える。

静かに借入残高を確認します。

「0円」

その数字を見た瞬間でした。

叫ぶこともありませんでした。

飛び跳ねることもありませんでした。

ただ、身体の奥から何かが込み上げてきました。

言葉ではうまく表せません。

ビリビリと力が湧いてくるような感覚。

今まで張り詰めていた糸が、ゆっくりほどけていくような感覚。

ただ一つだけ、はっきり分かったことがあります。

私は借金を返したかったんじゃない。

もう一度、自分で人生を選べる状態に戻りたかった。

振り返ると、あの一年は借金を返す時間ではありませんでした。

目先の楽しさではなく、

最後に笑える方を選ぶ。

そんな生き方を、少しずつ身につけていく時間だったのです。

振り返ると、私はいつも同じ選び方をしていました

借金を返し終えてから、私の暮らしが劇的に変わったわけではありません。

収入が増えたわけでもありません。

毎日が特別になったわけでもありません。

変わったのは、

何かを選ぶ時の目線でした。

返済中、最初に見直したのは固定費でした。

スマートフォン。

保険。

サブスクリプション。

住居費だけは簡単には変えられませんでしたが、それ以外は一つずつ見直していきました。

最初は、少しでも返済を楽にしたい。

それだけでした。

でも、一つ気付いたことがあります。

固定費は、一度見直せば終わりです。

来月も。

その次の月も。

何もしなくても、その効果は続いていきます。

その時、私は思いました。

「これなら続けられる。」

その一言が、とても心地よかったのを覚えています。

もっと頑張る。

もっと我慢する。

そんな方法ではありません。

無理をしなくても、自然と続いていく。

私は、その安心感が好きでした。

それからでした。

何かを選ぶたびに、

同じことを考えている自分に気付きます。

複雑な方法より、

シンプルな方法。

一度だけ頑張る方法より、

続けられる方法。

一度だけうまくいく方法より、

何度でも積み重ねられる方法。

当時は気付いていませんでした。

でも振り返ると、

私はずっと同じ基準で選んでいました。

そして、もう一つ。

何かを選ぶ時の順番も、少しずつ変わっていました。

最初に心が動く。

「いいな。」

そう思う。

そのあとで考える。

本当に続けられるだろうか。

責任を持てるだろうか。

無理はないだろうか。

そして最後に、

もう一度、自分の心へ戻る。

「それでも私は、これを選びたいか。」

その問いに、

「はい。」

と答えられた時だけ、前へ進む。

それが、いつの間にか私の選び方になっていました。

私は「身の丈」という言葉が好きです。

それは、収入に見合った暮らしをするという意味ではありません。

たとえ年収1000万円になったとしても、

無理なく続けられる暮らしなら、それが私にとっての身の丈です。

逆に、

手に入れられたとしても、

維持することが苦しい暮らしなら、

それは今の私には少し背伸びをした選択なのだと思っています。

振り返ると、

シンプルさも。

持続性も。

再現性も。

全部、目的ではありませんでした。

最後に心から笑いたい。

その願いがあったから、

私は今日も、

安心して続けられる方を選んでいます。

幸せは、叶えるものではありませんでした

昔の私は、幸せは何かを手に入れた先にあるものだと思っていました。

もっとお金があれば。

もっと自由になれたら。

もっと理想の暮らしができたら。

その先で、ようやく笑えるものだと思っていました。

だから、目先の楽しさを選び続けました。

その結果、私は長い時間をかけて遠回りをしました。

借金を返し終えても、突然人生が変わったわけではありません。

豪華な暮らしになったわけでもありません。

毎日が特別になったわけでもありません。

変わったのは、

私が見ている景色でした。

朝、蛇口をひねれば水が出る。

夜になれば部屋の電気がつく。

休日の朝、バイクで山へ向かう。

家に帰れば、奥さんがいる。

昔から何も変わっていない景色です。

でも、あの一年を経験した私は、その景色を当たり前だと思えなくなっていました。

幸せは、

どこか遠くにあるものではありませんでした。

毎日の暮らしの中に、ずっとありました。

ただ、私はそれを見る余裕がなかっただけだったのです。

振り返ると、

私はずっと正解を探していました。

でも、本当に探していたのは正解ではありませんでした。

自分が納得できる選び方でした。

心が動く。

一度立ち止まる。

理屈で考える。

もう一度、自分の心に問いかける。

「それでも私は、これを選びたいか。」

その問いに「はい」と答えられた時だけ、私は前へ進む。

それが今の私の選び方です。

もちろん、その選択がいつも正しいとは限りません。

失敗することもあります。

遠回りすることもあります。

でも、自分で選んだ道なら、私は何度でも立ち上がれます。

改善できます。

挑戦になります。

私にとって本当の失敗は、

失敗することではありません。

自分の気持ちを置き去りにしてしまうことです。

あの日、アシックスを選ばなかった時のように。

あの頃の私は、周りの声を聞いていました。

でも、自分の心の声は聞けていませんでした。

だから、何年経っても忘れられなかったのだと思います。

今でも迷うことはあります。

立ち止まることもあります。

それでも昔と違うのは、

答えを急がなくなったことです。

心が動いた理由を考える。

理屈でも考える。

そして最後は、自分が納得できる方を選ぶ。

その繰り返しが、

今の私の暮らしになりました。

明日もきっと、

私は何かを選びます。

小さなことも。

大きなことも。

そのたびに迷うかもしれません。

でも私は、

自分の心に耳を澄ませながら、

今日と同じように、

一つずつ選んでいこうと思います。

それが、

今の私にとって、一番心が穏やかでいられる生き方だからです。

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