止まっていた歯車が動き始めた日

以前の私は、いつも何かに追われていました。

お金の不安。
将来への不安。
思うように進まない毎日。

何が原因なのか分からないまま、心のどこかでモヤモヤを抱え続けていた気がします。

当時の私は、そのモヤモヤの正体が何なのか分かりませんでした。

ただ、このままでは長続きしない。
そんな違和感だけは、ずっと心の中に残っていました。

そんな時に出会ったのが、禅やミニマリズムの考え方でした。

これは、止まっていた歯車が少しずつ回り始めた頃の話です。

目次

毎日何かに追われていた

当時の私は、

毎月の支払いや借金返済に追われていました。

朝起きても頭は重たく、

仕事へ向かい、

理不尽なことがあっても感情を押し殺す。

帰宅すれば安く済ませた晩ご飯を流し込み、

YouTubeやゲームで時間を潰す。

でも楽しくはありませんでした。

本当に苦しかったのは借金ではなかった

今振り返ると、

私が苦しかったのは借金そのものではなかったと思います。

本当に苦しかったのは、

自分の人生を自分で選べていない感覚でした。

お金がない。

将来が見えない。

思った通りに物事が進まない。

その度に私は、

人生の舵を握れていないような感覚を抱いていました。

この生活は長続きしない

借金返済を進める中で、

私はある違和感を抱くようになりました。

この生活は現実的ではない。

再現性も持続性もない。

このまま続けても、

また同じ場所へ戻ってしまう気がしたのです。

足るを知るという考え方

そんな時に出会ったのが、

ミニマリズムや禅の考え方でした。

その中でも特に心に残ったのが

「足るを知る」

という言葉です。

最初は単なる精神論だと思っていました。

しかし学び続けるうちに、

比較や見栄、

執着や不安の根っこが、

この言葉に繋がっていることに気付きました。

最初に手放したのは見栄だった

私はまず、

見栄を手放しました。

ありのままの自分と、

今の現実を受け入れることから始めました。

それまでの私は、

世間が作った成功者像を追いかけていました。

もっと良い物を。

もっと良い暮らしを。

もっと良い人生を。

でもその先には、

不思議なくらい満足がありませんでした。

モヤモヤの正体が見えた

足るを知ることを理解してから、

まるで止まっていた歯車が回り始めた感覚がありました。

今まで抱えていたモヤモヤが消えたわけではありません。

ただ、

その正体が見えたのです。

何と戦っているのか分からない状態から、

ようやく相手の姿が見えたような感覚でした。

思考がシンプルになった

物を減らし、

買い物を見直し、

暮らしを整える。

すると、

驚くほど判断する回数が減りました。

何を買うか。

どう見られるか。

何が正解か。

そんなことを考える時間が少なくなったのです。

頭の中に余白が生まれました。

心に余白ができると

不思議なことに、

以前は面倒だったことを自然と始めるようになりました。

バイクを触る。

コーヒーを淹れる。

本を読む。

そしてブログを書く。

無理に頑張ったわけではありません。

余計なノイズが減ったことで、

本当にやりたかったことに目が向くようになったのです。

自由とは何だろう

今でも私は自由が何なのか分かりません。

昔はお金があれば自由になれると思っていました。

でも違いました。

物を減らしても、

自由の答えは見つかりませんでした。

ただ一つ言えるのは、

以前よりも自分で選べることが増えたということです。

だから私は今日も、

自分にとっての自由を探しながら暮らしています。

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